ステルス介護中の父

父のこと(ステルス介護)

父は古希のお祝いを迎える前日に急性心筋梗塞で倒れ、救急搬送されました。医師からは「万が一の心づもりをしてください」と告げられましたが、奇跡的に一命を取り留めました。心筋の7割が壊死したままですが、今では毎日元気に過ごしています。

心筋梗塞の前と後

心筋梗塞になる前の父は、健康診断で尿酸値が少し高い程度で、その他に異常はありませんでした。

「同級生の◯◯は血圧の薬を飲んでいる」などと、他人と比べては自分の健康を誇るのが常で、それが本人の自信にもなっていました。

しかし発症後は、原因の分からないめまいに襲われたり、朝は箸がうまく使えずスプーンで食事をするようになりました。

さらに、医師からは「重い物を持つ作業や激しい運動は禁止」と伝えられ、灯油缶運びやタイヤ交換といった日常の重作業が一切できなくなってしまいました。

心筋梗塞のすぐ後に脳梗塞も

退院後、父は「治った」と思い込んだのか、すぐに以前と同じ生活に戻ってしまいました。朝の散歩、昼食後のドライブ、カラオケ…。母と私は父の体を気遣いながら生活しているのに、本人はどこ吹く風でした。

ある日、「なんか具合が悪い」と言う父を連れて心筋梗塞でお世話になった病院へ行きました。検査を終え、二人で昼食をとっていた時、ふと父の顔を見ると右半分が不自然に下がっていました。

「顔の右側が下がってるよ!」と慌てて声を上げると、父は驚きながら自分の顔をさすっていました。その異変に気づいた主治医が急いで駆けつけ、そのまま緊急入院となりました。

調べると、脳の2か所の血管が血栓で詰まっていたとのこと。幸い後遺症の出にくい部位だったため、しばらくの入院で退院することができました。

心を入れ替えた父

脳梗塞はさすがに堪えたようで、父は外出を控え、酒も断ち、血管に負担をかける行為を一切やめました。

今では「あのときしっかり養生したおかげで、今の元気がある」と口にしますが、実際には母と私が支え続けてきた日々があったからこそ今があるのだと感じています。

介護認定を受けさせればよかった

振り返ると、心筋梗塞のあとに介護認定を受け、もっと公的サービスを利用していれば、母の負担を軽減できたのかもしれません。

母が認知症を発症したのはその3年後。父の介護に追われていた日々で、疲労の蓄積やストレスが認知症の引き金になった可能性は否めません。

今でも父に「介護認定を受けてみては?」と勧めますが、本人はあまり良い顔をしません。

「まだ人の手を借りるほどではない」という自負が残っているからです。

しかし現実には、急に「頭が重い」と言い出したり、朝食の最中に体が動かなくなったり、曇天や寒い日には起きられなくなったりと、生活のあらゆる場面で私の手を必要としています。

介護認定は受けていないけれど、実際には介護が必要な父

ベッドから起き上がれない日は、飲むゼリーで空腹を紛らわせ、歯が弱っているため硬い物や大きく口を開ける食べ物はNGです。

食事は一口大に切ったり、吸い込みが弱いので麺類は短くカットして出すなど、毎食工夫が必要です。

また、2か月に一度の補聴器のメンテナンスには一人で行けないため、私が車で送迎しています。

めまいや吐き気が強い日は、状況次第で救急車の手配もしなければならず、日常生活はすでに「介護そのもの」です。

それでも「介護を受けている」と認めたくない父のことを私は密かに「ステルス介護」と呼んでいます。