ここでは、母が認知症に至るまでの背景を、私自身の思いも交えながら振り返ってみたいと思います。
母はなぜ認知症になったのか?
しっかり者で、常に家を仕切っていた母。口癖のように「もし認知症になったら迷惑をかけたくないから、すぐ施設に入れてね」と言っていました。
ところが実際に認知症と診断されたとき、私が「では希望通り、施設への入居を……」と言い出すと、母は「いやぁだ!」の一点張り。聞いていた話と違うじゃないか、と思いながらも、気がつけば介護の日々が始まっていました。
ここからは、私が感じている「認知症に至った要因」についての個人的な考察です。
暖房光熱費をケチった結果?
母は昔から「13度を下回らないと暖房はつけない」という人でした。普通の家庭なら「冬は温かい部屋で過ごす」が当たり前ですが、我が家は「冬は寒くないだけマシ」という生活。
石油ストーブがあっても火力は常に最弱。ダウンを着込み、温かいお茶を飲まないと身体が冷えるほどでした。
後から知りましたが、長期間寒い環境にいると認知症リスクが上がるという研究があるようです。その情報を聞いたとき、「あ、これ母だ……」と妙に納得してしまいました。
精神的なゆるみも影響したのかもしれない
母が認知症になる少し前、転倒して肩を圧迫骨折しました。それは母にとって、結婚してから初めて「家事を誰かに任せる」経験でした。
そして一度任せられると分かると、骨折が治っても家事を再開しようとはしませんでした。私が何度「もう治っているのだから、以前のように家事をしてほしい」とお願いしても、母は頑として受け入れませんでした。
その頃から、
- 整骨院の予約を忘れる
- 診察日でもないのに病院に行く
- 頼んでいない宅配便を「来ない」とクレームする
など、以前とは明らかに違う様子が増え、心の張りが抜けてしまったように見える日々でした。
今ではすっかり「大きな赤ちゃん」
異変に気づいてから検査を受けるまでの2〜3年、母とは何度も言い争いをしました。そしてやっと検査を受けたときには、すでにかなり進行していたのだと思います。
歩けなくなり、尿意や便意も分からず、トイレの介助はすべて私が担当。現在は感染予防のためバルーンカテーテルを使っています。
以前は昼間は2時間おきのトイレ介助が必要でしたが、今は尿を捨てるのは1日2回で済み、排便はオムツに任せています。
オムツ交換のときの母は本当に赤ちゃんのようで、恥じらいも抵抗もありません。すべてを「おまかせね」と身を委ねてくるので、こちらもストレスを感じず、手早くきれいにしてあげられます。
時々、オムツ姿でご機嫌な母が可愛くてお腹をこちょこちょすると、ゲラゲラと笑ってくれるので、私までほっこりしてしまいます。
しっかり者の役目から、ようやく解放されたのかもしれない
母は4人姉妹の長女として育ち、「長女だから」と家事や下の子の世話を任されていたと聞いています。本当は甘えたかったのに甘えられなかったのかもしれません。
嫁いでからも節約生活、家計管理、保育士としての仕事……。きっと大変なことも多かったはずです。
そう思うと、今の母は人生で初めて、安心して思い切り甘えられる時間を手に入れたのではないかと感じることがあります。
母がふわっと笑う姿を見るたびに、「これが本来の母の姿なのかもしれない」と思えるようになりました。
まとめ
しっかり者で家族を支えてきた母。その母が認知症になり、子どものように無邪気に笑う姿を見るたびに、「ようやく甘えることが許されたんだね」と思えるようになりました。
介護には大変なことも多いけれど、母が安心して身を委ねてくれる今の時間は、母にとっても家族にとっても、やさしい意味を持つ時間なのかもしれません。

