義理で歯を失い、腕で歯を取り戻した父の話

介護の知恵袋

何歳になっても、自分の歯でものを食べられるということは、とても大切なことです。

もともと虫歯もなく、歯が丈夫だった父。
一方で、歯が弱く、若い頃から歯科医院に通い続けていた母。

ところが70代後半になって、その立場は見事に逆転しました。


いつの間にか歯が弱くなっていた父

母は歯が弱かった分、治療のたびに歯石を取ってもらい、定期的に歯の管理を続けてきました。その結果、77歳になった今でも、すべて自分の歯で食事をしています。

一方、子どもの頃「虫歯ゼロ」で表彰されたこともあるほど歯に自信があった父は、「自分は大丈夫」という思いから、長年歯医者に行かず、歯磨きだけで済ませていました。そのツケが回り始めたのが50代後半です。

いつの間にか差し歯が増え、仕事を辞めてからは近所の歯医者に通うようになりましたが、ある日突然、「小学生の頃からの知り合いがやっている」という歯医者に通い始めたのです。

義理で歯を失った父

「毎年年賀状をくれるし、昔からお習字が上手な人でね……」

そう言って父は、その歯医者を手放しで褒めていました。

ところが、ある日歯医者から帰ってくるなり、父はそのまま布団に倒れ込みました。

事情を聞くと、
「前歯が歯槽膿漏でボロボロだから、抜いたほうがいいって言われて、1本抜いてきた。すごく痛かった」
「今日はもう何も食べたくない。気分が悪い」

そう言って寝込んでしまったのです。

翌日も歯が入らず、普通の食事はできません。飲むゼリー、具なしの味噌汁、極端に柔らかいおかゆ、朝食のフルーツも砂糖で煮て柔らかく……。
その調達も調理も、すべて私の役目でした。

数日後、ようやく歯が入ったと思ったら、
「合わない、痛い」
と訴え、結局また翌日も歯医者へ。

私が思わず、
「抜いて気分が悪くなるほどの丈夫な歯を、そんな簡単に抜くものなの?」
と言うと、父は
「同級生がやってる歯医者だから、悪いようにはしないよ」
と答えました。

お正月のご馳走が食べられない事態に

そんなことが続いた年末、父は言いました。

「歯がもうダメらしい。これから4本抜かないといけないんだって」

「これからクリスマスに年末年始なのに、また寝込む気?
他の歯医者に行ってみたら?」

そう言っても、
「一度任せた歯だから、大丈夫だろう」
と、どこまでも呑気です。

結果は予想通りでした。
歯医者に行くたびに寝込み、流動食しか喉を通らず、正月は歯がない状態。大好きなおせちのごまめも食べられずに過ごしました。

その間の父の世話を、年末年始の一番忙しい時期に担うことになった私も、正直、地獄でした。

母の歯が取れた!

そんなある日、骨折とリハビリで入院していた母が退院し、数週間が経った朝のことです。

母の布団をめくると、そこに歯が1本落ちていました。

「母は歯が丈夫なはずなのに……」

慌てて口を開けさせると、確かに歯が1本抜けています。

母も父と同じ歯医者に通っていたため、急いで連れて行きましたが、車椅子では登るのがやっとの急なスロープ。父と二人でなんとか、押し上げましたが、父一人では通院させられないことがすぐに分かりました。

診察室に入るなり、医師は開口一番、
「で、どうしたいの?」

私は、洗ってジップロックに入れた抜けた歯を差し出しながら、
「差し歯かブリッジで、歯が入った状態にしていただきたいのですが」
と言いました。

すると医師は、その歯をぶらぶらと揺らしながら、
「あー、これもうダメだね」
の一言。

セカンドオピニオンを求めて

このままでは無理だと判断した私は、すぐに自分のかかりつけの歯医者に予約を入れ、父と母を連れて行きました。

そこの先生は、あまり患者の話を聞かないタイプですが(笑)、診断は的確で、常に最善の方法を提示してくれます。

「歯が取れちゃって……」と歯を見せると、
「大丈夫ですよ。ブリッジでいけるかもしれません。両隣の歯の状態次第ですが、多分大丈夫」
と、手際よく診察してくれました。

数回通院し、母の口には立派な歯が入りました。

父も転院を決意

新しい歯科医院は、車椅子でも楽に上がれる緩やかなスロープがあり、父一人でも母を連れて通えます。

父も付き添ううちに、
「俺も、こっちの先生に診てもらおうかな」
と言い出しました。

診察後、父は興奮気味に言いました。

「すごい先生だよ。こんなボロボロの歯でも『抜かない』って言ってくれた」
「まず歯槽膿漏を治そう、根気よくやろうって」
「今日は歯を抜かずに帰れた!」

その後も、
「取れた歯を10分でぴったり付けてくれた」
「歯石を取りに行くようになって、状態が良くなってきた」
「ステーキもトンカツも噛める!」
と、嬉しそうに報告してくれます。

義理よりも腕で歯医者を選ぶべし!

「あのまま前の歯医者に通ってたら、今ごろ総入れ歯だよ」
と言うと、
「そうだね、危なかったね」
と笑う父。

その姿を見ながら私は、
「義理や付き合いで、不本意な選択をしていないか」
「おざなりに続けていることはないか」
と、自分自身を振り返るようになりました。

歯医者選びは、人生選び。
この出来事は、私にそんな教訓を残しました。